白んで見えた水平線:

始めて見た砂浜は白かった。

「そっか、見たことねぇんか、じゃあ行かねえとなぁ」
葉がそう言ったのは確か2年前、夏に出雲に言った時のことで、ブラウン菅の向こうは海水浴客の高い声が響いてやけに眩しい異世界だった。その時あたしはこんな人ゴミは嫌いだと、ただこんなざわざわしているだけの娯楽施設になんか興味はないと言った。それは本心。その時のあたしにとっての海は海岸沿いを高くコンクリートで舗装されて所々漁船が留まっているだけの水の固まりでしかなくて、海水はしょっぱいということは知識でしか知らなかったし、海に生き物が生息しているということさえ若干疑っていた。そんなあたしに、葉は「んなことねぇよ」と、一言返しただけでテレビを消してしまった。
それでその話は終わってしまったけれど、あたしはそれで良かった。普段見ていたただ寂しいだけの水平線より、テレビで毎年騒がれる海水浴場より、山に囲まれた麻倉家の畳の上で、何もしないでいるのが考えうる一番幸福な夏だったのだ。

そして、今。あたしは、いつの間にかあたしより大きくなっていた葉に手を引かれ電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、九十九里浜に。
それは突然のことだった。夏だから海だなんて、そんなありふれた夏休みの過ごし方を、まさか自分が実践するだなんて考えたこともなかった。わざわざ遠出するのは、ちゃんとした砂浜と水平線が見れるようにという葉のはからいでのことだった。(ちゃんとした、というのもおかしいことだけれど)
理由はどうあれ、のこのこ着いて来たあたしもあたしだ。余程熱に浮かれてたとしか思えない。白いワンピースは汗で胸に張り付いている。こめかみからは時々汗が垂れる。繋いだ手から伝わる体温は高すぎた。

「これ、入って良いのかしら」
「おお、入ってみ。靴脱げよ」
「しょっぱいって本当かしら」
「本当。試してみるか?」
「葉の反応を見て決めようかしら」
「やったことねぇんだろ、自分でやってみねぇと」
「あんた偉そうね、ムカつくわ」
「うぇへへ、良いじゃねぇか、お前、始めてなんだし―――っておい!」

あたしは葉の手を振りほどいてサンダルを脱ぎ散らかして海まで駆けて行った。波が足の甲を滑っていく感触だけではなんだか物足りなくって、大股でずんずん進んで行く。普通の水と違って、少しぬめりがあるように思った。自分めがけて迫ってくる波のうねりは、海岸線どこでも平等に訪れるのだろうか。波の不規則な運動は身体全体に響き渡り、塩の臭いが脳を侵した。

「なにやってんだお前」
呆れたような、驚いたような表情をした葉が目の前に。あたしは、葉に抱きかかえられて海から浮いていたのだった。そこで気化のために体温が奪われたことによって気が付いたのだけれど、あたしの足は太股まで海につかっていたようでひどくスースーした。葉のズボンの裾は残念なことにぐっちょりと海水に濡れてしまっていて、肩越しに見える砂浜の便所サンダルが二足、やわい夏の日差しのせいでぼんやり発光して見えた。

「あんた濡れて帰らなくっちゃ」
「誰のせいだよ」
「追いかけてこなくっても良かったのに」
「ばか」

水平線は思ったよりも遠くって、青森の海では見られなかった多くの人々が笑顔ではしゃぐ様は相変わらず異世界だけど、初めて肌で感じだ海は想像していたより優しかった。来てみて初めて、自分はなんとなくこれを恐れていたのだとわかった。果てが見えないからだろうか――――――今となってはどうでも良いことだわ。鼻につく潮の匂いは甘くすら感じた。

「泳ぐのはまた今度な、準備してねぇし」
「あたし、泳ぐつもりで海に来たんじゃないわ」

葉の首に腕を巻きつけてそっと微笑んだ。